釜石の街
一昨年の9月、釜石の街を訪ねた。この日は一ノ関から気仙沼へ抜け海岸沿いを徐々に北上した。
今回の地震では、南三陸町や気仙沼市、陸前高田市などの被害が甚大で、釜石市の報道があまり聞こえてこないのが残念。かといって安心できる状態ではなく、死者も行方不明者も500人以上という、岩手県内でも陸前高田に次ぐ死者数を出している。
あらためて訪れたときの写真を眺めたみた。あの場所は今、どうなっているのだろうか。
駅からほど近い薬師山公園からの眺め。遠くに見えるのは三陸鉄道南リアス線の鉄橋だ。
市内大町の飲み屋街。かつては鉄の男たちが集まったのだろうか。この頃も、夜になれば賑わったであろうと思われる。
市民文化会館。ちょっと寂れてしまった街のわりには小奇麗な建物という印象があった。
石応禅寺。300年余の歴史があるそうだ。
その昔、釜石は小さな漁村で、良質な鉄鉱石があったことから鉄の街として発展。県下第二位の都市にまで発展した。
一方、津波の歴史も数多くあり、明治29年には死者4千人以上という大津波にも見舞われている。それでも不屈の精神で復興してきた、それが釜石という街なのだそうだ。
釜石を訪ねたのは2度目。この日も最終的には久慈まで行って泊まったので滞在は数時間だったけど、何度か訪ねた街だけに、今どうしてるだろうかと気になる。そして1日でも早くふつうの生活ができることを願ってやまない。
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