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2011年3月

2011年3月24日 (木)

釜石の街

一昨年の9月、釜石の街を訪ねた。この日は一ノ関から気仙沼へ抜け海岸沿いを徐々に北上した。
今回の地震では、南三陸町や気仙沼市、陸前高田市などの被害が甚大で、釜石市の報道があまり聞こえてこないのが残念。かといって安心できる状態ではなく、死者も行方不明者も500人以上という、岩手県内でも陸前高田に次ぐ死者数を出している。

あらためて訪れたときの写真を眺めたみた。あの場所は今、どうなっているのだろうか。
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駅からほど近い薬師山公園からの眺め。遠くに見えるのは三陸鉄道南リアス線の鉄橋だ。

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市内大町の飲み屋街。かつては鉄の男たちが集まったのだろうか。この頃も、夜になれば賑わったであろうと思われる。

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市民文化会館。ちょっと寂れてしまった街のわりには小奇麗な建物という印象があった。

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石応禅寺。300年余の歴史があるそうだ。

その昔、釜石は小さな漁村で、良質な鉄鉱石があったことから鉄の街として発展。県下第二位の都市にまで発展した。
一方、津波の歴史も数多くあり、明治29年には死者4千人以上という大津波にも見舞われている。それでも不屈の精神で復興してきた、それが釜石という街なのだそうだ。

釜石を訪ねたのは2度目。この日も最終的には久慈まで行って泊まったので滞在は数時間だったけど、何度か訪ねた街だけに、今どうしてるだろうかと気になる。そして1日でも早くふつうの生活ができることを願ってやまない。

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2011年3月21日 (月)

首都圏~東北の高速バス運行状況

首都圏と東北方面を結ぶ高速バスは、とかく被災地である宮城県(仙台)と岩手県(盛岡)だけがクローズアップしている。
だけど、新幹線がこのような状況下でも、被災地以外へ(から)移動しなければならない人がいる。
そのような人で高速バスの需要は高まっているようだけど、実際、その他のエリアとを結ぶ高速バスはほとんどクローズアップされない。
国交省のHPをたどると知ることはできるけど、いかんせん、すぐにわかるものではない。新幹線に代わる公共交通としてもう少し日の目を見せてあげればいいのに思うのは僕だけか?

国交省HPよりはるかにアクセス数は少ないけど、某社に勤める友人がこんなものを作ったので、参考までにアップしてあげる。

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ま、あくまでも参考程度に。

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2011年3月19日 (土)

東北方面の高速バス事情

東北地方を襲った大地震で、交通インフラが大打撃を受けた。
僕らの業界では東北の大動脈、東北自動車道がほぼ全線にわたり通行止めなのは痛い。被災した人、避難したい人はたくさんいるだろうに、その輸送の一翼を担えないのはもどかしさも覚える。

実際、関東地方の被害状況は報道されるような三陸地方ほどではないはずだし、内陸部の区間は余震による崖崩れの心配はあるにせよ、損壊の程は大きくないだろう。だからほぼ全線にわたり通行止めになっていることに疑問を持たないわけではない。
しかし、ここに一般車を通せば阪神大震災のときでもそうだったように、一気にクルマが集中して通行どころではなくなるのは目に見えている。1キロ走るのに1時間、そういう状況になるのだ。
まずは救援物資の輸送と災害復旧に必要な重機の輸送を最優先にしなければならない。個人レベルで「助けに行きたい」といった嬉しいけど身勝手な考えや、ましてや物見遊山の旅行(もちろん被災地へ行くなんてもってのほか)は慎むべき。本当に助けたい気持ちがあるのなら、今の段階ではプロに任せ、落ち着いた頃に行ってあげてほしい。今朝のテレビでも言っていた。阪神大震災のボランティア130万人のうち100万人以上が最初の1週間だか1ヶ月に集中したとのこと。本当に助ける気持ちがあるなら、落ち着きを取り戻し、テレビでも特番が組まれなくなって、世間から少し遠ざかった頃に行ってあげるのがいいのではないだろうか。

ところで、新幹線がストップしている中、高速バスは代行交通機関としてクローズアップされてきている。だけど肝心な東北道が通行止めとなっているので、そう簡単に復旧することはできなかった。
そんな中、国際興業・庄内交通が運行する渋谷・池袋~鶴岡・酒田便「夕陽号」は地震当日は運休したのかな? 今は日本海側回りで運行している。小田急シティバスと秋田中央交通の新宿~秋田便「フローラ号」は、11日こそ運休したようだけど、同じく日本海周りで運行している。巨大掲示板によると12日の秋田発は9台とのことで、おそらく避難をしたい人、そして新幹線需要が大きく表れたのだろう。

このように震災エリアから外れた2点間輸送で迂回路が確保されている高速バスはすぐに運行再開したようだけど、特に仙台、福島、盛岡など、通行止め区間を通らねばまったく行き来できない区間の高速バスは、かなり長きにわたって運休を強いられた。
だが、新幹線がこのような状況にあって、新幹線に代わる公共交通機関として高速バスは「緊急車両」の扱いを受けたため東北道を通行できるようになり、16日頃から徐々に再開をし始めた。新宿~仙台のJRバスがイの一番にテレビで紹介されている。そして昨夜は国際興業、JRの盛岡行が報じられていた。

緊急車両としての首都圏と東北各地を結ぶ高速バスは、相当数復旧してきている。不謹慎ではあるけど、新幹線が止まっているおかげで需要も多く、業界全体が低迷していた折に嬉しくはある。
半面、肝心な燃料が不足しており、どこの会社も増便を出したいけど出せないというジレンマに陥っているようだ。友人の会社でも被災地である相手会社側での給油も可哀相だし、かといって自社も不足気味だし、救援物資としての現地への燃料提供も必要だけど、人々を運ぶためにいる我々にも救いの手を!と切実な思いを語っていた。

苦しい中でも被災地の人々を首都圏へ、そして新幹線に代わる交通機関として、僕たちにできる小さな貢献として高速バスは動き出してきた。国土交通省ではそれをまとめたものを公開している。少しでも役立てれば参考にしてほしい。
国土交通省新着情報から http://www.mlit.go.jp/news.html

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2011年3月15日 (火)

大地震

いやぁびっくりした。突然社屋がガタガタ揺れ、パソコンや書棚がひっくり返りそうな状況だった。これほどまでの揺れはいつ以来か?

宮城県、岩手県を中心に襲った東北地方三陸沖地震(メディアによっては東北関東大震災など、いろいろと表現はあるようだ)は、北海道から関東地方、そして中部地方の一部まで、広い範囲で被害をもたらした。最終的な地震の規模は9.0という、国内では前代未聞の大規模地震というわけだ。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、行方不明の方の一刻も早い救出、そして被災された方の一日でも早く心の傷が癒えることを願ってやまない。

会社ではテレビに釘付けとなり、正直仕事も手につかない。それでも路線バスでは現場への指示や、高速バスでは運行の可否など、やらなければならないこと、調べなければならないことが山ほどできた。テレビなんか見ている暇はないんだけど、中継される津波を見て、「映画などで視る海水だけの津波が如何に作り物なのか。本物の津波は家屋や木々、クルマなども飲み込み、泥水で非常に汚い。そして人の身体も連れ去ってしまう」というのを実感した。

あとで知るところで、あの津波の映像の中に少なからぬ人が流されていたのだろう。僕らはそれを、ただ怖い怖い、凄い凄い、そんな気持ちで視ていた。今となってはすごく反省。助けられない自分が悔しくなり、繰り返し映像を視ているうちに涙が出てきた。人間は自然の前では何もできない、そう実感した瞬間だった。

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2011年3月 6日 (日)

ツーステップバス

都内でお出かけ。
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久しぶりに乗ったツーステップのバス。都営バスの中央区エリアで乗ったバスの車内は、やけに広々と見えた。
収容力や座席数を考えるとこのタイプがいいのだけど…。

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